人間は、いつ死ぬのでしょうか。心臓が止まったときでしょうか。脳が働かなくなったときでしょうか。それとも、体を構成する細胞がすべて活動を終えたときでしょうか。
医療の現場では、心停止や脳死などを通して死を判断します。しかし、体を細かく調べていくと、生命の終わりは、私たちが想像するほど単純ではありません。人が亡くなった直後にも活動を続けている細胞があり、生きている間も体内では無数の細胞が誕生し、死んでいます。
さらに不思議なのは、生物を構成する物質そのものを調べても、生きている状態と死んだ状態を区別できないことです。生きている鳥と死んだ直後の鳥を比べても、体重や体を構成する元素の種類・量には、基本的に違いがありません。それでは、生命を生命たらしめているものは何なのでしょうか。
臨終直前に意識や体調が一時的に回復する現象から出発し、生物の体をつくる物質、エネルギー、細胞の誕生と死、そしてDNAの働きまでをたどると、生と死の境界を考えるための重要な手掛かりが見えてきます。
1. 臨終直前の回復――死が近づいた人に何が起こるのか
死が近づいているのに、意識や体調が一時的によくなる
人生の最終段階では、体力が低下し、食事や水分をとる量が減り、意識がはっきりしなくなることがあります。ところが、ごく一部の人では、死が近づいているにもかかわらず、一時的に意識が明瞭になったり、会話ができるようになったり、体調が改善したように見えたりすることがあります。
長い間ほとんど話せなかった人が、突然、家族に話しかける。反応が乏しかった人が、周囲の人を認識したような様子を見せる。あるいは、衰弱していた人が一時的に元気を取り戻す。こうした変化は、家族や介護・医療の関係者にとって強い印象を残します。
このような現象は、臨終期の一時的な回復や、終末期の意識の明瞭化として語られます。認知機能の低下や意識障害がある人に、死の直前、以前には見られなかったほど明瞭な反応が現れる場合には、「終末期の明晰化」などの言葉で説明されることもあります。
ただし、これらの現象は、すべてが同じ仕組みで起きていると確かめられているわけではありません。体調が一時的に改善することと、意識や記憶が急に明瞭になることは、関連している場合があっても、同じ現象とは限りません。
介護や医療の現場で報告されている現象
終末期の人に一時的な変化が現れることは、介護や医療に携わる人々の経験として報告されています。紹介されている調査では、2010~2014年に介護・医療関係者などから約630件の回答を集めたところ、回答者のおよそ2~3割が、死が近い人に一時的な回復や意識の明瞭化を経験したと報告しています。
もちろん、この数字は、調査対象者の経験に基づくものであり、すべての臨終期の人に同じ現象が起きることを示すものではありません。また、調査で報告された体験だけから、その発生率や原因を厳密に決めることもできません。
それでも、こうした経験が複数の現場から報告されていることには意味があります。人間の生命活動が終わりに近づくとき、身体や意識には、一般的な衰弱の進み方だけでは説明しきれない変化が現れる場合があるからです。
「お迎え」を感じる体験と、科学的な説明の限界
終末期には、すでに亡くなった家族や親しい人の姿を見た、迎えに来たように感じた、といった体験も報告されています。こうした現象は、日本では「お迎え」と呼ばれることがあります。
本人にとっては、亡くなった人との再会のように感じられ、恐怖を和らげる経験になる場合もあります。一方、周囲の人から見ると、幻覚や意識状態の変化のように映ることもあるでしょう。
ここで重要なのは、体験した人が感じた意味と、その現象が生じた医学的な仕組みを分けて考えることです。本人が亡くなった家族を見たと感じたことは、その人の経験として尊重できます。しかし、それだけで死後の世界の存在が科学的に証明されたことにはなりません。同じように、医学的な説明がまだ確立していないからといって、本人の体験を単純に否定することも適切ではありません。
意識、記憶、感情、知覚は、脳の働きと深く関係しています。しかし、終末期に脳や身体の状態がどのように変化し、それが個々の体験にどう結びつくのかについては、十分に解明されていない部分があります。
一時的な回復は、死が遠のいたことを意味するのか
臨終直前に元気になったように見えると、家族は「回復したのではないか」と感じるかもしれません。しかし、終末期の一時的な変化が、そのまま長期的な回復を意味するとは限りません。
また、すべての人が同じ経過をたどるわけでもありません。食事量や水分摂取量、体重、意識状態の変化には個人差があり、感染症や薬の影響など、別の要因が関係している場合もあります。
したがって、臨終直前の一時的な回復を、死期を正確に予測する方法として扱うことはできません。本人の変化を観察し、苦痛の有無や全身状態を確認しながら、医療・介護の専門職が慎重に判断する必要があります。
この現象が投げかける問いは、単に「なぜ最後に元気になることがあるのか」というものだけではありません。生命活動が終わりに向かう過程は、一直線に進む単純な変化ではない可能性があるのです。こうした現象を考えることは、生命とは何か、死とは何かという、より根本的な問いにつながっていきます。
2. 生と死のちがい①――体を元素に分解しても、生命の違いは見つからない
生きている鳥と、死んだ直後の鳥は何が違うのか
同じ体重の鳥が2羽いると想像してみましょう。一方は生きており、もう一方は死んだ直後です。両者の体重を測っても、死んだからといって体重が突然、大きく変わるわけではありません。
体を構成する元素についても、基本的には同じです。生物の体は、酸素、炭素、水素、窒素、カルシウム、リンなどの元素でできています。人間の場合、こうした6種類の元素だけで体重のおよそ98%を占めます。
生きている人間と亡くなった直後の人間を比べても、体を構成している元素そのものが、死の瞬間に消えたり、別の元素に変わったりするわけではありません。
生物の体には、水やタンパク質、脂質、糖質、核酸など、さまざまな物質が含まれています。死後には、タンパク質などの分解が進み、体を構成する化合物の種類や状態は変化していきます。しかし、死んだというだけで、体を構成していた元素の総量や種類が一斉に変わるわけではないのです。
つまり、生命の有無を、体に含まれる元素の種類や量だけから判断することはできません。
生物の体をつくる元素は、自然界にも存在する
生物の体をつくる元素は、特別なものばかりではありません。酸素や炭素、水素、窒素などは、自然界にも広く存在しています。
人間の体重に占める割合を見ると、酸素が約65%、炭素が約18%、水素が約10%、窒素が約3%です。カルシウムやリンなども重要な役割を担っています。
水素は原子の数で考えると非常に多い元素ですが、原子そのものが軽いため、体重に占める割合では酸素が最大になります。人間の体は水分を多く含んでおり、水を構成する酸素と水素が、体の物質的な基盤になっていることも関係しています。
リンは、DNAなどを構成する重要な元素です。自然界の岩石などに含まれる割合と比べると、生物の体には相対的に多く含まれています。生物は、自然界にある物質を取り込み、それらを特定の組み合わせ方で利用することによって、生命活動を維持しています。
ここで大切なのは、生命が特殊な元素でできているから成り立つのではない、という点です。生物と生物以外の物体を分ける鍵は、材料そのものよりも、材料がどのように組み合わされ、どのように利用されているかにあります。
生命を決めるのは、材料ではなく、その組み合わせ方と働き方
家を考えてみると、この違いがわかりやすくなります。木材や鉄、ガラスなどの材料が同じでも、それらが適切に組み合わされて家として機能している場合と、ばらばらに積み重ねられている場合とでは、大きな違いがあります。
材料だけを調べても、それが家として機能しているかどうかはわかりません。柱や壁、屋根などが一定の関係を保ち、全体として構造を維持できていることが重要です。
生物にも、これに似た側面があります。体を構成する元素や分子が存在するだけでは、生命活動は成立しません。細胞が必要な物質をつくり、エネルギーを利用し、内部の状態を調整し、外部の環境と物質やエネルギーをやり取りする必要があります。
生きている状態では、体内のさまざまな反応が連動し、細胞や臓器が一定の働きを維持しています。死によってその仕組みが維持できなくなると、体を構成する物質が残っていても、生命活動を支える全体的な働きは失われていきます。
この意味で、生命は物質の単なる集合ではありません。物質が一定の構造をつくり、その構造を維持しながら活動している状態なのです。
ただし、生物を元素に分解しても生と死の違いが見つからないということは、死を科学的に判断できないという意味ではありません。医療では脳や循環などの機能を評価し、定められた医学的・法的基準に基づいて死を判断します。ここで示されているのは、物質の組成だけを見ても、生命活動の有無は判断できないということです。
3. 生と死のちがい②――生物は、なぜ体の構造を維持できるのか
砂の城は崩れるが、生物の体は構造を保とうとする
砂浜に砂の城をつくったとします。最初は整った形をしていても、風や波にさらされれば、少しずつ崩れていきます。何もしなければ、形を保つことはできません。
生物の体も、物質からできた構造物である点では、砂の城と無関係ではありません。しかし、生きている生物は、時間がたっても体の構造を一定の範囲に保ち続けます。皮膚が傷つけば修復が進み、古くなった細胞は新しい細胞に置き換えられ、体内の状態も調節されます。
一方、死んだ生物は、こうした維持活動を継続できなくなります。外から栄養を取り込み、それを利用してエネルギーをつくり、体を修復する仕組みが働かなくなるからです。時間がたつにつれ、体を構成する構造は崩れ、分解が進んでいきます。
この違いは、生命を理解するうえで重要です。生物は、ただ壊れにくい物質でできているから長く形を保つのではありません。体の状態を維持するための活動を、絶えず続けているのです。
エントロピー増大の法則とは何か
物理学には、エントロピー増大の法則と呼ばれる考え方があります。エントロピーは、簡単にいえば、エネルギーの分散や、ある系の状態の無秩序さに関係する量です。厳密な意味は熱力学的な条件によって異なりますが、ここでは「整った状態を放置すると、自然に崩れていく傾向」を理解する手掛かりとして考えられます。
砂の城は、つくった直後には一定の形を保っています。しかし、外から何も手を加えなければ、風や波などの作用によって形が崩れていきます。整った構造を維持するためには、外部からの働きかけが必要です。
生物の体にも、構造を維持するための働きが必要です。細胞内では化学反応が続き、タンパク質が合成され、不要な物質が分解され、傷ついた部分が修復されます。こうした活動が止まれば、体の構造は次第に崩れていきます。
ただし、生物がエントロピー増大の法則に本当に反しているわけではありません。生物は外部から物質とエネルギーを取り込み、その一部を使って内部の秩序を維持する一方、熱や代謝産物などを外部へ放出しています。生物自身の内部で秩序を保つことと、周囲の環境を含めた全体でエントロピーが増大することは、両立します。
つまり、生命は自然法則の例外ではありません。自然法則に従いながら、外部との物質・エネルギーのやり取りを利用して、自らの構造を維持しているのです。
生きている体は、完成品ではなく、維持され続ける仕組み
私たちは、自分の体を一つの完成した物体のように感じています。しかし、体の内部では、物質の分解と合成、エネルギーの生産と利用、細胞の入れ替わりなどが絶えず進んでいます。
たとえば、食事から取り込んだ栄養は、消化・吸収を経て、エネルギーをつくる材料や、細胞をつくり直す材料になります。細胞は必要な物質を合成し、不要になった物質を分解します。体温や血糖値なども、さまざまな調節機構によって一定の範囲に保たれています。
このように、生きている体は、単に形を保っているだけではありません。形を保つために、内部の状態を絶えず更新しているのです。
死によってこの維持の仕組みが失われると、体の構造を保つことが難しくなります。死んだ直後には外見上ほとんど変わらない場合でも、時間の経過とともに、生きている体との違いが明確になっていきます。
生と死の違いは、体をつくる物質があるかないかという問題ではなく、その物質を利用して、生命を維持する活動が続いているかどうかという問題なのです。
4. 生と死のちがい③――細胞の誕生と死が、体を維持している
私たちの体は、細胞をつくり替えながら生きている
生物の体は、一度つくられたら、そのままの状態で維持されるわけではありません。体内では新しい細胞がつくられ、古くなった細胞や不要になった細胞が取り除かれています。このような物質の合成と分解、細胞の更新を含む一連の働きは、新陳代謝と深く関係しています。
新しい細胞が生まれる基本的な仕組みの一つが、細胞分裂です。細胞が分裂する際には、遺伝情報を担うDNAが複製され、その情報が新しくできる細胞へ受け継がれます。こうして細胞が増えることによって、体の成長や組織の修復が可能になります。
しかし、細胞が増え続ければよいというわけではありません。古い細胞や役割を終えた細胞が適切に取り除かれなければ、組織の状態を保つことが難しくなります。細胞の増殖と死のバランスが崩れると、体に問題が生じることがあるのです。
たとえば、がん細胞は、増殖を制御する仕組みから外れ、周囲の組織に悪影響を与えながら増殖することがあります。細胞の増殖を適切に調節することは、健康な体を維持するために欠かせません。
細胞の「自死」――アポトーシス
体内には、必要に応じて自ら死ぬように制御された細胞の仕組みがあります。これをアポトーシスと呼びます。日本語では、プログラム細胞死などと表現されます。
アポトーシスは、細胞が無秩序に壊れるのではなく、一定の手順に従って解体される仕組みです。細胞内の構成要素が分解され、細胞全体が小さな断片へと分かれていきます。その後、それらは周囲の細胞などによって処理されます。
この仕組みは、体を正常に保つために重要です。発生の過程で不要になった細胞を取り除いたり、傷ついた細胞や異常な細胞を排除したりする際に役立ちます。
たとえば、発生途中の体では、組織の形を整えるために、特定の細胞を取り除く必要があります。また、DNAに大きな損傷を受けた細胞などが適切に排除されることは、異常な細胞の増殖を防ぐうえでも重要です。
アポトーシスは、細胞にとっては死ですが、個体全体にとっては健康や秩序を維持するための働きになることがあります。ここには、「死は必ずしも全体の破壊を意味するわけではない」という、生命の興味深い側面があります。
細胞の「事故死」――ネクローシス
細胞の死には、アポトーシスとは異なる形もあります。その代表例がネクローシスです。これは、強い損傷などによって細胞が壊れていくタイプの細胞死です。
やけど、酸素不足、病原体による損傷などによって細胞が大きなダメージを受けると、細胞全体が膨張し、細胞膜が破れて、内部の物質が周囲に漏れ出すことがあります。こうした変化は、周囲の組織に炎症を引き起こす原因にもなります。
アポトーシスとネクローシスの違いを整理すると、次のようになります。
| 比較する点 | アポトーシス | ネクローシス |
|---|---|---|
| 主な仕組み | 一定の手順に沿った細胞の解体 | 強い損傷などによる細胞の破壊 |
| 細胞の変化 | 構成要素が分解され、断片化する | 細胞や細胞内の構造が膨張し、膜が破れることがある |
| 周囲への影響 | 比較的、周囲への影響を抑えて処理される | 内部の物質が漏れ出し、炎症につながることがある |
| 生物全体にとっての意味 | 発生、組織の維持、異常細胞の排除などに役立つ | 組織の損傷や病気に関係することがある |
実際の細胞死は、この表のように常に明確に二分できるわけではなく、さまざまな細胞死の仕組みが知られています。それでも、細胞の死には、体を維持するために制御されたものと、損傷などによって起こるものがあると理解すると、生命の仕組みが見えやすくなります。
細胞の誕生と死のバランスが、成長や修復を左右する
体の大きさや組織の状態は、細胞がどれだけつくられ、どれだけ失われるかによって変化します。新しくつくられる細胞が多ければ、成長や組織の増加につながります。反対に、細胞が失われる量が増えたり、新しい細胞をつくる力が低下したりすれば、組織を維持することが難しくなります。
けがをした皮膚が修復されるときにも、細胞の誕生と死が関係しています。傷ついた部分では、組織を修復するために細胞分裂が活発になります。傷口を埋めるために細胞が増え、組織が再構築され、その後、余分な細胞や役割を終えた細胞が取り除かれていきます。
一方、すべての細胞が簡単に入れ替わるわけではありません。脳の神経細胞や心臓の心筋細胞などは、一般的に分裂による入れ替わりが限られています。そのため、これらの細胞が大きく損傷すると、皮膚などに比べて修復が難しい場合があります。
このように、生命は細胞を増やすことだけで維持されるのではありません。必要な細胞をつくり、不要な細胞を取り除き、それぞれの組織に適したバランスを保つことによって成り立っています。
個体の死と細胞の死は、同じものではありません。人が亡くなった直後にも、一部の細胞では代謝などの活動が残っている場合があります。しかし、個体全体を維持するための循環や酸素供給などが失われると、多くの細胞はやがて活動を維持できなくなります。
生命全体の終わりと、個々の細胞の終わりは、必ずしも同じ時点に起こるわけではないのです。
5. 生と死のちがい④――DNAは、生命の秩序をつくり直す
細胞が増えるとき、体の材料も新しく組み立てられる
細胞分裂によって新しい細胞がつくられるとき、細胞内のDNAも複製されます。DNAには、細胞の構造や働きに関わる遺伝情報が記録されています。細胞分裂では、この情報が複製され、新しい細胞へ受け継がれていきます。
DNAを複製するための材料は、体の外から取り込んだ栄養などに由来します。食物から得た物質は、消化・吸収された後、細胞内でさまざまな化学反応に利用されます。また、不要になった細胞や物質を分解することによって得られた成分も、再利用される場合があります。
つまり、体は外から材料を取り込み、それらを利用して新しい細胞や分子を組み立てています。生命活動とは、すでに存在する構造を維持するだけでなく、材料を入れ替えながら必要な構造をつくり直す活動でもあるのです。
DNAの複製は、単純な材料から複雑な構造をつくる作業
DNAは、非常に複雑な情報を保持する分子です。その基本単位はヌクレオチドと呼ばれ、糖、リン酸、塩基などから構成されています。
DNAが複製されるときには、もとの二重らせん構造がほどけ、それぞれの鎖を鋳型として、新しい鎖がつくられます。塩基の対応関係に基づいてヌクレオチドが並び、もとのDNAと対応する情報を持つDNA分子が複製されます。
この過程では、比較的単純な分子が、決まった規則に従って組み合わされ、高度な構造をつくり上げます。細胞はこうした分子の組み立てを通して、自らの構造を維持し、増殖し、生命活動を続けているのです。
ここで重要なのは、DNAが存在するだけで生命が成立するわけではないということです。DNAを複製するには、酵素などの分子やエネルギー、材料が必要です。また、複製されたDNAが適切に利用されるためには、細胞内のさまざまな仕組みが正常に働いていなければなりません。
生命を支えているのは、DNAという「設計図」だけではなく、その情報を読み取り、必要な分子を合成し、細胞全体の働きを調整する仕組みです。
シュレーディンガーの「負のエントロピーを食べる」という考え方
物理学者エルヴィン・シュレーディンガーは、著書『生命とは何か』の中で、生物が「負のエントロピーを食べて生きている」という趣旨の表現を用いました。
これは、生物が食物などから物質とエネルギーを取り込み、それを利用して、自らの内部に秩序だった構造をつくり、維持していることを表す考え方です。
たとえば、DNAの複製では、ヌクレオチドという分子が一定の規則に従って結びつき、複雑な構造をつくります。細胞では、タンパク質や膜なども合成され、必要な場所に配置されます。こうした作業には材料だけでなくエネルギーが必要であり、細胞は栄養から得たエネルギーなどを利用しています。
「負のエントロピー」という表現は、現在の物理学で生物の働きを厳密に記述するための単純な用語として、そのまま使えるわけではありません。しかし、生命が外部から物質とエネルギーを取り込み、内部の秩序を維持しているという着眼点は、生命を理解するうえで重要です。
生物は、外部から何も受け取らずに自分の構造を維持できるわけではありません。食物、酸素、水などを利用し、熱や代謝産物を外部に放出しながら、体内の状態を保っています。生命活動が停止すると、このような物質とエネルギーの流れが、個体全体として維持できなくなっていきます。
生命は、DNAの情報に従って体をつくり続ける
DNAに記録された遺伝情報は、細胞が必要とするタンパク質などをつくるための重要な情報源です。細胞はその情報を利用し、外部から取り込んだ材料を組み合わせて、自らの構造や機能を維持します。
ただし、DNAが生命のすべてを決定しているわけではありません。遺伝情報がどのように働くかは、細胞の状態や環境、遺伝子の発現を調節する仕組みなどにも左右されます。生命は、情報、物質、エネルギーが相互に関係する動的なシステムなのです。
ここまで見てきたように、生きている体では、細胞がつくられ、不要な細胞が取り除かれ、分子が合成され、DNAが複製されます。こうした活動を通して、生命は体の構造を保ち続けています。
反対に、個体全体の生命活動が維持できなくなると、細胞や分子の働きも次第に失われていきます。ただし、その変化は体のあらゆる部分で一斉に起きるわけではありません。個体としての生命の終わりと、細胞レベルでの活動の終わりには時間差があります。
6. 生と死を分けるものは、物質の有無ではなく、生命活動のつながりである
ここまでの内容を振り返ると、生と死の違いは、単純な物質の違いとして説明できないことがわかります。
生きている鳥と死んだ直後の鳥を比べても、体を構成する元素の種類や量は基本的に変わりません。生物を細かく分解しても、元素の中に「生命」という特別な物質が見つかるわけではないのです。
一方、生きている生物では、細胞が物質を合成し、エネルギーを利用し、体の構造を維持しています。細胞の誕生と死は調節され、DNAの情報に基づいて必要な分子がつくられます。生命は、物質が一定の構造を持つだけでなく、その構造を維持する活動が継続している状態だと考えられます。
臨終直前に意識や体調が一時的に回復する現象も、生命活動が終わりに向かう過程が単純ではないことを示す話題です。ただし、その現象の仕組みは十分に解明されておらず、個々の体験から死の本質を断定することはできません。
生物学的に見ると、生命は物質とエネルギーを取り込み、構造をつくり直し、内部の状態を調節する活動の連なりです。その連なりが個体全体として維持できなくなると、死という状態に至ります。しかし、個体が亡くなった瞬間に、体を構成するすべての細胞が一斉に活動を停止するわけではありません。
生と死の境界を考えることは、心臓や脳の働きだけを考えることでも、細胞の死だけを考えることでもありません。個体、臓器、細胞、分子という複数の階層で、生命活動がどのように成り立ち、どのように失われていくのかを理解することが重要です。
生命は、特別な材料でできているから生きているのではありません。ありふれた物質を取り込み、情報に基づいて組み立て、エネルギーを利用し、絶えず自分自身を維持し続けるからこそ、生きているのです。
