高齢の家族が突然、息苦しそうになったり、意識を失ったりしたら、救急車を呼ぶのが当然だと考える人は多いでしょう。目の前で大切な人の容態が変われば、「何とか助けたい」「何もしなかったと後悔したくない」と思うのは自然なことです。
一方、人生の最終段階にある高齢者の場合、救急搬送によって病院での治療が始まっても、回復が難しいことがあります。本人が望んでいた穏やかな最期を迎えるつもりだったのに、救急搬送をきっかけに集中治療や蘇生処置が行われ、病院で亡くなるという経過をたどることもあります。
では、高齢者が救急車を呼ぶと、平穏な死を迎えられなくなるのでしょうか。
大切なのは、救急車を呼ぶこと自体を良い・悪いと決めつけないことです。救急搬送によって回復が期待できる状況なのか、本人がどのような医療を望んでいるのか、そして何を目標に対応するのかによって、望ましい選択は変わります。
1. 救命を目指す医療と、人生の最終段階のケアがすれ違うとき
昨日まで元気だった高齢者が、突然、重い状態になることもある
高齢者の容態は、ある日突然、大きく変わることがあります。昨日まで普段どおりに過ごしていた人が、急に息苦しくなったり、顔や身体がむくんだり、意識がもうろうとしたりすることもあります。背景には、心不全や肺炎など、命にかかわる病気が隠れている場合があります。
家族にとっては、つい最近まで元気だった人が急に危険な状態になったことを、すぐには受け止められないかもしれません。「昨日まであんなに元気だったのだから、何か治療をすれば回復するはずだ」と考え、救急車を呼んで病院に運んでもらうことを望むのは、無理のない反応です。
しかし、非常に高齢で、重い病気が急速に進行している場合には、救急医療によって命を救うことが難しいこともあります。病院では、救急隊や医療者が決められた手順に沿って、生命を救うための処置を行います。それは救急医療にとって重要な役割です。
問題は、救命を目指す医療の仕組みと、すでに人生の最終段階を迎えている本人の状態や希望とが、必ずしも一致しないことです。
救急搬送が「回復を目指す治療」につながるとは限らない
たとえば、非常に高齢の人が急性心不全などを起こし、救急搬送されたとします。病院では、呼吸や循環を維持するための処置や、必要に応じた集中治療が検討されます。しかし、病状が極めて重く、回復が困難な場合には、さまざまな処置を行っても、結果として短期間で亡くなることがあります。
このようなとき、家族は「できる限りのことをしてもらえた」と感じるかもしれません。一方で、本人が望んでいたのは、慣れ親しんだ自宅で家族に囲まれて過ごすことだったかもしれません。本人の希望が十分に共有されていなければ、医療者も家族も、何を優先すべきか判断するのが難しくなります。
ここで考えたいのは、救急医療が不要だということではありません。急な病気のなかには、迅速な治療によって回復できるものもあります。高齢者だからという理由だけで、救急搬送や治療を控えるべきではありません。
重要なのは、救急搬送をするかどうかを、年齢だけでなく、病状、回復の見込み、本人の希望に照らして考えることです。
「助けるための医療」と「穏やかに看取るためのケア」
救急医療は、急変した人の生命を救い、状態を回復させることを目指します。一方、人生の最終段階にある人へのケアでは、病気を治すことが難しい場合でも、痛みや息苦しさを和らげ、本人が望む環境で過ごせるよう支えることが大切になります。
この二つは、必ずしも対立するものではありません。救急搬送によって回復できるなら、救命を目指す治療が本人にとって最善となる場合があります。反対に、回復の可能性が極めて低く、本人が望まない侵襲的な処置による負担が大きいと考えられる場合には、苦痛を和らげることや、本人が望む場所で過ごすことを優先する選択肢もあります。
問題になるのは、本人の希望や病状が十分に共有されていないために、救急搬送後、本人が何を望んでいたのかを確認できないまま、救命を目的とする処置が進んでしまうことです。
このすれ違いを減らすためには、急変してから考えるだけでなく、元気なうちから、人生の最終段階にどのような医療を受けたいのかを話し合っておくことが重要です。
2. 救急車を呼ぶと、なぜ穏やかな看取りが難しくなることがあるのか
救急隊は、生命を救うための対応を行う
救急車を呼ぶと、救急隊はその場の状況を確認し、必要な救命処置を行いながら、病院への搬送を進めます。すでに呼吸や心臓が止まっている場合には、状況や適用される手順に応じて心肺蘇生などが行われます。呼吸や心拍が残っている場合でも、状態によっては病院での緊急治療が必要になります。
こうした対応は、救急隊の役割に沿ったものです。救急隊が、本人の人生観や以前からの希望をその場ですべて把握し、個々の家庭に合わせた看取りを行うことは容易ではありません。
そのため、本人が人生の最終段階にあり、家族も自宅で看取りたいと考えていたとしても、その希望が救急隊や搬送先の医療者に伝わっていなければ、通常の救命対応へと進む可能性があります。
亡くなった後にも、家族や周囲に負担が生じる場合がある
自宅で人が亡くなったとき、死亡の状況や医師による確認の有無などによって、その後の対応は変わります。救急車を呼び、到着した時点ですでに亡くなっていた場合などには、状況によって警察への連絡や検視などが必要になることがあります。
これは、救急車を呼んだ家族が悪いという意味ではありません。死因や死亡に至った経緯を確認するための手続きです。ただ、家族にとっては、本人が亡くなった悲しみのなかで事情を説明したり、確認に応じたりすることが、大きな負担になる場合があります。
また、救急搬送後に病院で亡くなった場合には、本人が望んでいた自宅での看取りが実現しないこともあります。こうした経過をできるだけ避けたいのであれば、本人の状態が悪化したときに誰へ連絡し、どのように対応するのかを、あらかじめ主治医や訪問看護師などと相談しておくことが重要です。
ただし、死亡後の手続きは状況や地域の運用によって異なります。救急車を呼べば必ず検視になる、あるいは家族が必ず事情聴取を受ける、と一律に考えることはできません。
「救急車を呼ばない」という考え方には、事前の準備が必要
自宅での穏やかな看取りを希望する場合、あらゆる急変時に救急車を呼ぶのではなく、まず主治医や訪問看護師に連絡するという対応が適切なことがあります。病状や本人の希望を把握している医療者が状況を確認し、必要な診療や苦痛の緩和につなげられるからです。
しかし、これは「高齢者なら救急車を呼ばないほうがよい」という意味ではありません。突然の意識障害や事故、治療によって回復が期待できる急病などでは、救急要請が必要になる場合があります。自宅での看取りを希望していても、すべての症状を自宅で対応できるわけではありません。
大切なのは、救急車を呼ばないこと自体を目標にしないことです。本人が望む医療やケアを実現するために、どのような状態なら主治医に連絡し、どのような場合には救急要請をするのかを、医療者と一緒に整理しておくことです。
3. 「救急車を呼ぶかどうか」を、急変する前に話し合う
本人が望む最期を、元気なうちから確かめておく
救急車を呼ぶかどうかの判断が難しくなる大きな理由は、本人が何を望んでいるのか、家族が十分に知らないことです。
たとえば、本人は「回復の可能性があるなら病院で治療を受けたい」と考えているかもしれません。一方で、「病気が治る見込みがなく、身体に大きな負担がかかるだけなら、自宅で穏やかに過ごしたい」と考えている人もいるでしょう。
こうした希望は、急変してから確認しようとしても、間に合わないことがあります。意思を伝えられるうちに、家族と話し合っておくことが大切です。
話し合う内容は、細かな医療処置の選択だけではありません。どのような生活を大切にしたいのか、どこで過ごしたいのか、苦痛をできるだけ避けたいのか、回復の可能性が低いときにはどのような治療を望むのか。こうした価値観を共有しておくことが、急変時の判断を支えます。
主治医や訪問看護師と、具体的な連絡手順を決める
自宅で療養している人の場合、主治医や訪問看護師などと、急変時の連絡方法や対応について相談しておくと安心です。
たとえば、夜間や休日に連絡できる窓口はどこか、息苦しさや発熱が起きたときに何を確認するのか、どのような症状があれば救急要請を検討するのか、といったことを具体的に確かめておきます。本人の病状によっては、予想される変化や、その際に家族ができることを事前に説明してもらうことも役立ちます。
こうした準備があれば、急変したときに家族がすべてを一人で判断しなくてもすみます。主治医が本人の病状や希望を把握していれば、救急搬送が必要かどうか、在宅で対応できるかどうかを考える際にも、適切な助言を得やすくなります。
ただし、事前に対応方針を決めていても、実際の症状によっては方針の再検討が必要です。急変時の対応は、本人の状態を踏まえて判断することが基本です。
家族の気持ちにも目を向ける
家族が救急車を呼びたくなるのは、必ずしも医療への理解が足りないからではありません。「何もしなければ、本人を見捨てたことになるのではないか」「あとで親族から責められるのではないか」といった不安があるからです。
その不安を軽くするためには、家族が本人の希望を知り、医療者と一緒に対応方針を考えられることが重要です。本人の意思や病状について説明を受けていれば、急変時に何を優先するのかを考えやすくなります。
それでも、実際に息が苦しそうになったり、意識が低下したりする場面では、冷静でいられないこともあります。事前に話し合っていたからといって、家族が必ず迷わず判断できるわけではありません。家族の不安や迷いも自然なものとして受け止め、必要に応じて医療者に相談できる体制を整えることが大切です。
4. 自宅で穏やかに看取るためには、苦痛を和らげる体制が欠かせない
自宅で過ごすことは、医療を受けないことではない
「自宅で平穏な最期を迎える」と聞くと、医療を受けずに自然に亡くなることを想像する人もいるかもしれません。しかし、自宅での看取りは、医療をすべて避けることではありません。
訪問診療や訪問看護を利用すれば、自宅にいながら病状を確認してもらい、必要な薬やケアについて相談できます。病気の進行によって痛みや息苦しさが生じた場合にも、症状を和らげるための対応を検討できます。
特に、がんなどによる痛みについては、鎮痛薬を適切に使うことで苦痛を軽減できる場合があります。痛みを我慢することが、穏やかな最期の条件なのではありません。本人の苦痛をできるだけ減らし、安心して過ごせるように支えることが重要です。
また、苦痛は痛みだけではありません。息苦しさ、吐き気、不安、発熱など、さまざまな症状が起こる可能性があります。症状によっては、緊急の診察や搬送が必要になることもあるため、在宅で対応できることと、医療機関での治療が必要なことを、医療者と相談しておく必要があります。
家族だけで看取りを担わない
自宅で看取ることを選んだ家族が、すべての変化に対応し、すべての判断を担う必要はありません。むしろ、家族だけでは対応できない場面があることを前提に、支援体制を整えておくことが重要です。
夜間に急変したときの連絡先、主治医や訪問看護師との連絡方法、必要な薬の管理、介護サービスの利用などを整理しておくと、家族の不安を軽減しやすくなります。本人の病状によっては、予想される変化について説明を受けておくことも役立ちます。
自宅での看取りは、本人の希望を尊重するための選択肢の一つです。しかし、家族の健康や生活、介護の負担も無視できません。家族が疲れ切ってしまうような状態では、本人にとっても家族にとっても、安心できる時間を保つことが難しくなります。
自宅での看取りを希望していても、途中で病院や施設での療養に切り替えることはあり得ます。場所を変えることが、看取りの失敗を意味するわけではありません。本人と家族の状況に合わせて、必要な支援を選び直すことも大切です。
5. 救急車を呼ぶことを「失敗」と考えない
大切なのは、救急搬送の有無ではなく、本人にとっての最善を考えること
自宅での平穏な看取りを希望していたのに、結果として救急搬送され、病院で亡くなった場合、家族は「救急車を呼ばなければよかったのだろうか」と後悔することがあるかもしれません。
しかし、急変したその場で、家族が本人の生死や回復の可能性を正確に判断することは簡単ではありません。大切な人を助けたいと思って救急車を呼んだことを、後から一方的に責めるべきではありません。
また、救急搬送したことだけで、平穏な死を迎えられなかったと決まるわけでもありません。治療によって回復し、再び自宅での生活に戻れる場合もあります。本人の状態や希望によっては、病院で治療を受けることが最善の選択になることもあります。
反対に、本人が人生の最終段階にあり、回復が難しいことが分かっている場合には、救急搬送や蘇生処置が本人の希望に沿わない可能性もあります。だからこそ、普段から本人の意思を確認し、急変時の対応について医療者と話し合っておくことが重要なのです。
「何をするか」だけでなく、「何を目指すか」を共有する
急変時の対応を考える際には、救急車を呼ぶかどうかという行動だけに注目するのではなく、その先に何を目指すのかを考える必要があります。
回復を目指すのであれば、救急搬送や病院での治療が必要になることがあります。病気を治すことが難しく、本人が自宅で穏やかに過ごすことを望んでいる場合には、主治医や訪問看護師に連絡し、苦痛を和らげる対応を優先することが適切な場合もあります。
ただし、本人が希望していたとしても、在宅での対応が困難な状態になることはあります。その場合には、本人の安全や苦痛の軽減を考え、医療者と相談しながら対応を決めていきます。
本人、家族、医療・介護関係者が、目指す方向を共有しておくことが、急変時の混乱を減らし、本人にとって望ましい対応を選ぶための土台になります。
6. 平穏な最期は、事前の話し合いと日々の備えから生まれる
高齢者が救急車を呼ぶと、必ず平穏な死を迎えられなくなるわけではありません。救急搬送によって回復が期待できる場合もあり、緊急の治療が必要な状況では、救急車を呼ぶことが重要です。
一方で、人生の最終段階にある人の場合、救命を目指す医療が本人の希望と一致しないこともあります。そのようなすれ違いを減らすには、急変してから判断するのではなく、本人がどのような医療やケアを望むのかを、元気なうちから家族や医療者と話し合っておくことが大切です。
自宅での看取りを希望するなら、主治医や訪問看護師への連絡方法、急変時の対応、苦痛を和らげるための支援体制を具体的に確認しておきましょう。本人の希望は、病状や気持ちの変化に応じて見直してもかまいません。
平穏な最期を支えるのは、救急車を呼ばないという決まりではなく、本人の希望を理解し、状況に応じた医療やケアを選べる準備です。 救急搬送することも、自宅で看取ることも、それ自体が成功や失敗を決めるわけではありません。本人にとって何が最善なのかを、家族だけで抱え込まず、医療者とともに考えていくことが大切です。
