1. 在宅医療にとって、停電は命にかかわる問題になる

自宅で療養する人にとって、電気は単に照明や冷暖房を動かすためのものではありません。医療機器を動かし、呼吸や日常生活を支えるために欠かせない場合があります。

たとえば、呼吸を助けるために在宅酸素療法を受けている人や、痰などの分泌物を取り除くために吸引器を使っている人にとって、停電は健康や生命に直接かかわる問題です。普段は何事もなく使えている機器でも、電源が失われれば、いつもどおりの療養生活を続けられなくなるおそれがあります。

この問題の深刻さを浮き彫りにしたのが、2011年の東日本大震災直後に実施された計画停電でした。

突然の停電発表が、医療現場を動かした

震災後、計画停電の実施が急きょ発表された際、在宅医療を担う診療所では、電気を必要とする患者への対応に追われました。紹介されている診療所では、約70人の在宅患者のうち、約10人が在宅酸素療法や吸引など、電気を必要とする医療機器を使用していました。対象となる人の多くは、高齢の夫婦が互いを支え合う「老老介護」の状況にありました。

診療所は、酸素濃縮器などの在宅酸素機器から酸素ボンベへ、電動吸引器から充電式の吸引器へ切り替える方法を家族に説明しました。状況によっては、注射器型の手動吸引器を用意し、その使い方も伝えました。

幸い、地域での計画停電が始まる前に準備する時間を確保できました。しかし、それは決して余裕のある対応ではありませんでした。短い時間で代替機器を用意し、高齢の患者や家族に使用方法を理解してもらう必要があったからです。

この経験が示しているのは、停電への備えは、機器を購入しておけば終わりという単純な問題ではないということです。必要な機器が手元にあり、使い方を理解し、停電が起きる前に切り替えられる状態になっていて、初めて実際の備えとして機能します。

2. 代替機器があっても、すぐに使えるとは限らない

災害対策では、非常用の機器や備蓄品を準備することが重視されます。しかし、医療機器の場合には、備品が存在することと、緊急時に適切に使えることの間に大きな隔たりがあります。

停電してからでは、間に合わないことがある

在宅酸素療法で使用する機器には、電気を使って酸素を供給するタイプがあります。停電時に備えて酸素ボンベなどの代替手段を確保していても、切り替えの方法がわからなければ、十分に活用できません。

実際、紹介されている経験では、停電が起きる前に行うべき機器の切り替えを、停電後に実施したため、暗いなかで作業がうまく進まなかった家族もいました。

電動吸引器についても同様です。充電式の機器があれば電源の問題を軽減できますが、充電が十分でなかったり、使い方を把握していなかったりすれば、必要なときに役立たない可能性があります。手動式の吸引器を使う場合は、停電が続く間、介護する人が繰り返し操作しなければならないこともあります。

停電によって照明まで失われれば、操作そのものが難しくなります。介護する家族やヘルパーにとっては、機器の切り替えだけでなく、暗闇のなかで必要なケアを続けること自体が大きな負担になります。

高齢の家族に、緊急時の操作を初めて覚えてもらう難しさ

在宅療養を支える家族が高齢である場合、災害時の対応はさらに難しくなります。普段使っていない機器を突然操作することは、誰にとっても容易ではありません。ましてや、患者の容体が悪化するかもしれないという不安を抱えた状況では、落ち着いて説明書を読み、手順を確認することも難しくなります。

これは、本人や家族の能力が低いという問題ではありません。緊急時には、平常時ならできることでも、焦りや暗さ、疲労によって難しくなるからです。

したがって、災害への備えでは、医療機器の操作方法を説明するだけでなく、停電が起きる前に、本人や家族が実際に操作を練習しておくことが重要になります。必要な手順を紙にまとめ、暗い場所でも確認できるようにすることも、実用的な工夫です。

ただし、医療機器の切り替え方法や酸素の使用方法は、機器の種類や患者の状態によって異なります。自己判断で使用方法を変更するのではなく、主治医や訪問看護師、機器を供給する事業者などに確認し、個別の指示に沿って準備する必要があります。

3. 停電の影響は、医療機器だけにとどまらない

停電対策というと、医療機器を動かす電源の確保に注意が向きがちです。しかし、東日本大震災後の経験から見えてきたのは、電気が止まることによる影響が、機器の停止だけでは済まないという点です。

暗闇が認知症のある人の不安を強める

普段は比較的落ち着いて生活している認知症のある人でも、突然周囲が暗くなることで、不安が強まり、混乱したり、パニック状態になったりすることがあります。

これは、認知症のある人にとって、周囲の環境が生活を支える大切な手掛かりになっているためです。部屋の明るさや家具の位置、いつも聞こえる生活音などは、今いる場所や状況を理解する助けになります。それらが突然失われると、何が起きたのかを把握しにくくなり、不安が高まる場合があります。

停電への備えは、生命維持にかかわる医療機器の対策だけでなく、本人が落ち着いて過ごせる環境を守ることにも目を向ける必要があります。

たとえば、懐中電灯やランタンを取り出しやすい場所に用意し、夜間でも本人の様子を確認できるようにすることが考えられます。普段から使っている物の位置を大きく変えないことや、家族が落ち着いた声で状況を説明することも、不安の軽減につながる可能性があります。

もちろん、こうした対応だけで、すべての混乱を防げるわけではありません。それでも、停電時に起こり得る変化をあらかじめ想定しておけば、家族や支援者は必要な対応を取りやすくなります。

停電は、介護する人の負担も増大させる

在宅医療では、患者本人の状態だけでなく、介護する家族の状況も重要です。とりわけ老老介護の場合、支える側も高齢で、体力や判断力に限界があることは珍しくありません。

電動吸引器が使えなくなれば、代替手段によって吸引を続ける必要が生じることがあります。照明が消えれば作業は難しくなり、いつ停電が終わるのか見通せなければ、介護する人は長時間にわたって緊張を強いられます。

災害時には、介護する人自身も被災者です。家族がいるから大丈夫、ヘルパーが来てくれるから安心、と単純に考えることはできません。道路の寸断や交通機関の停止によって、支援者が訪問できなくなる可能性もあります。

だからこそ、在宅医療の災害対策では、患者のための機器や備品だけでなく、介護する家族がどこまで対応できるのか、支援者が来られない場合に誰が代わりを担うのかまで考えておくことが重要です。

4. 最悪の事態を想定し、平常時から備える

災害は、必ずしも予測どおりに起こるわけではありません。停電の時間や範囲がわかっている計画停電でさえ、準備が短時間に限られれば、現場は大きな混乱に陥ります。大地震や広域災害では、停電が長引いたり、通信や交通にも障害が生じたりする可能性があります。

発電機などの設備を、事前に検討しておく

震災後の経験から、発電機などの設備をあらかじめ用意しておく必要性が実感されました。非常用電源が確保されていれば、停電時にも一部の機器を使用できる可能性が高まります。

ただし、発電機や蓄電池があれば、どの医療機器でも問題なく動かせるとは限りません。必要な電力、使用時間、接続方法、機器との適合性などを確認する必要があります。燃料を使う発電機については、排気ガスによる中毒を防ぐため、屋内や換気の悪い場所では使用しないなど、安全上の注意も欠かせません。

在宅酸素療法や吸引器などを使用している場合は、主治医、訪問看護師、医療機器の供給事業者と相談し、停電時にどの機器をどう使うかを具体的に決めておくことが大切です。予備の酸素ボンベやバッテリーの必要量、充電の方法、停電が長引いた場合の対応についても、個々の療養状況に応じて確認しておきます。

「病院へ行けばよい」という前提が成り立たない場合もある

災害時には、在宅での対応が難しくなれば病院に搬送するという選択肢が考えられます。しかし、大規模災害では病院自身も被災し、電力や医療資源が不足することがあります。救急搬送の需要が集中し、すべての在宅患者を受け入れられるとは限りません。

つまり、災害時に在宅療養者を守るには、病院への移動だけを頼りにするのではなく、自宅で一定期間、安全に療養を続けるための準備も必要になります。

これは、どんな状況でも自宅にとどまるべきだという意味ではありません。患者の状態や災害の規模によっては、避難や医療機関への移動が必要です。大切なのは、自宅で過ごす場合と、避難や搬送が必要な場合の両方を想定し、状況に応じて判断できるようにしておくことです。

5. 在宅医療を守るのは、機器だけでなく地域のつながり

災害への備えは、患者や家族だけで完結するものではありません。医療機器を用意し、家族が使い方を覚えていても、停電が長期化したり、家族自身が負傷したりすれば、対応が難しくなることがあります。

東日本大震災後の経験では、患者や家族の協力が、停電時の対応を支える大きな力になりました。日頃から診療を重ね、医療者と患者・家族の間に信頼関係が築かれていたことが、困難な状況を乗り切る助けになったと考えられています。

日頃の信頼関係が、緊急時の協力を支える

災害が起きてから初めて、医療者が患者の生活環境や家族の状況を詳しく把握しようとしても、限られた時間では十分な対応が難しくなります。

普段から、どのような医療機器を使っているのか、家族がどこまで操作できるのか、夜間に誰が対応するのか、停電時にどんな不安があるのかを共有しておけば、緊急時の行動を具体化しやすくなります。

また、診療所が患者や家族に「自宅での生活をできるだけ支えたい」という方針を伝え、そのために何を準備する必要があるのかを一緒に考えることも重要です。医療者が一方的に指示するのではなく、患者や家族が自分たちにできることを理解し、納得したうえで準備を進めることが、実効性のある災害対策につながります。

一つの診療所だけではなく、地域全体で支える

在宅医療を担う診療所が一か所だけで災害対応を背負うことには限界があります。大地震では、診療所も被災し、医師や看護師が出勤できなくなるかもしれません。電話やインターネットがつながらず、患者の状況を確認できない可能性もあります。

そのため、地域の診療所同士が連携し、訪問看護や介護サービス、医療機器の供給事業者、自治体などと、平常時から支援の方法を話し合っておくことが大切です。どの患者に電源の確保が特に必要なのか、停電が長引いた場合に誰が連絡するのか、支援者が訪問できない場合にどうするのかを共有しておけば、単独の家庭や診療所だけでは解決できない問題にも対応しやすくなります。

ここで重要になるのが「地域力」です。地域力とは、地域の人々が親しいということだけではありません。医療・介護の専門職、行政、患者本人、家族、近隣の人々が、それぞれの役割を理解し、非常時に協力できる仕組みを持っていることです。

6. 自宅で安心して療養するために、今からできること

停電対策は、災害が発生してから始めるものではありません。医療機器を使用している家庭では、平常時に具体的な準備を進めておくことが、本人の命と家族の安心を守ります。

家庭で確認しておきたい備え

まず、使用中の医療機器について、停電時にどのような対応が必要なのかを、主治医や訪問看護師、機器の供給事業者に確認します。機器ごとに、予備電源の有無、バッテリーの使用可能時間、代替手段、切り替えの手順を整理しておくと、緊急時の判断がしやすくなります。

次に、家族が実際に操作を練習します。説明を一度聞いただけでは、緊張した状況で手順を思い出せないこともあります。使い方を紙にまとめ、家族や支援者の間で共有しておくと安心です。医療機器の操作に不安がある場合は、自己流で練習するのではなく、必ず専門職の指導を受けてください。

さらに、停電時の連絡先や、支援を求める順番を決めておきます。主治医、訪問看護ステーション、医療機器の供給事業者、自治体の相談窓口など、必要な連絡先をすぐに取り出せる場所にまとめておきましょう。大規模災害では電話がつながらないことも想定し、連絡が取れない場合の対応についても確認しておく必要があります。

そして、停電が長引いた場合や、家族だけでは安全を保てない場合に、どこへ避難するのか、どのような支援を求めるのかを事前に相談します。医療機器を使用している人の避難では、一般的な避難準備に加え、必要な医療機器や物品、電源、移動手段についての確認が欠かせません。

これらの準備は、患者や家族だけに責任を負わせるためのものではありません。医療者や行政、地域の支援者が一緒に考え、家庭ごとの状況に合った方法を整えていくことが重要です。

7. 災害への備えは、在宅療養をあきらめないための準備

東日本大震災直後の計画停電は、在宅医療が電気や機器、介護する家族の力に支えられていることを、あらためて明らかにしました。普段は問題なく生活できていても、停電が起きれば医療機器が使えなくなり、認知症のある人の不安が強まり、介護する家族や支援者の負担も急激に増える可能性があります。

だからこそ、在宅医療では、非常用の機器を準備するだけでなく、実際に使う練習をし、停電時の手順を決め、家族と支援者が情報を共有しておくことが必要です。そして、家庭だけで対応できない事態に備え、地域の診療所や訪問看護、介護サービス、行政が協力できる仕組みを整えることも欠かせません。

災害への備えは、在宅療養の危険性を強調して自宅で暮らすことを断念させるためのものではありません。むしろ、起こり得る危険を具体的に考え、対策を講じることで、住み慣れた家での生活をより安全に続けられる可能性を高めるものです。

安心して自宅で療養するためには、「何も起こらないこと」を期待するのではなく、「何かが起きても、次に何をすればよいかがわかっている状態」をつくることが大切です。 その備えを家庭だけに任せず、地域全体で支えることが、災害に強い在宅医療の基盤になります。