「日本人の3人に1人は、がんで亡くなる」と聞くと、年齢を重ねれば、いつかはがんになるのが自然なことのように思えるかもしれません。人間の身体にも機械のような耐用年数があり、それを過ぎると、どこかに故障が起こるのでしょうか。
確かに、がんは年齢を重ねるほど発症しやすくなる病気の一つです。しかし、身体が老化することと、必ずがんになることは同じではありません。 高齢になってもがんを発症しない人はいますし、若い年齢でがんになる人もいます。
この違いを理解するには、私たちの身体をつくる細胞がどのように生まれ変わり、傷ついた細胞をどう処理しているのかを知る必要があります。がんは単純に「身体の寿命が尽きたために起こる故障」ではなく、細胞の遺伝情報や増殖を制御する仕組みが複雑に変化することで生じる病気なのです。
1. 年齢を重ねると、なぜがんになりやすくなるのか
人間の身体は、細胞の新陳代謝によって保たれている
私たちの身体は、膨大な数の細胞によって構成されています。皮膚や腸の粘膜など、日常的に傷ついたり古くなったりする組織では、新しい細胞がつくられ、古い細胞と入れ替わっています。傷が治るときにも、細胞が増殖して組織を修復します。
細胞が分裂するときには、細胞の設計図にあたるDNAの情報が複製され、新しい細胞へ受け渡されます。DNAには、細胞を成長させたり、分裂を調整したり、傷ついた細胞を処理したりするための情報が記録されています。
ところが、DNAは完全に無傷のまま維持されるわけではありません。細胞が分裂するときの複製ミスや、紫外線、たばこの煙に含まれる有害物質、細胞の代謝によって生じる物質などの影響で、DNAに傷や変化が生じることがあります。
多くの場合、身体にはこうした変化に対処する仕組みがあります。しかし、長い年月の間に細胞が分裂を繰り返し、DNAの変化が蓄積すると、細胞の増殖を適切に制御する仕組みが損なわれる可能性が高まります。これが、加齢とともにがんの発症リスクが高くなる理由の一つです。
がんは、細胞の増殖を制御できなくなることで生じる
通常の細胞は、身体の必要に応じて分裂し、不要になれば分裂を停止したり、死滅したりします。ところが、がん細胞では、増殖を促す仕組みが過剰に働いたり、増殖を抑える仕組みが失われたりすることがあります。
その結果、細胞が必要以上に増え続け、周囲の組織に入り込んだり、血液やリンパの流れに乗って離れた臓器へ広がったりする場合があります。こうした性質を持つ細胞が増殖して、身体の正常な機能を妨げるのが、がんという病気です。
ただし、DNAに変化が生じた細胞が、すべてがん細胞になるわけではありません。変化の種類や組み合わせ、細胞が置かれた環境などによって、その後の運命は異なります。
たとえば、細胞に小さな傷が生じても、それが修復されれば問題は残りません。修復が難しい場合には、細胞の分裂を止めたり、細胞そのものを死滅させたりする仕組みが働くこともあります。がんは、こうした複数の防御機構をすり抜け、増殖に有利な変化を重ねた細胞が増えることで発生するのです。
2. 私たちの身体には、異常な細胞を抑える仕組みがある
DNAの修復と、細胞の活動を止める仕組み
細胞には、DNAに生じた傷を見つけて修復する仕組みがあります。DNAに異常が見つかった場合には、細胞分裂を一時的に止め、修復に必要な時間を確保することがあります。
それでも修復できないほどの損傷があれば、その細胞が増殖を続けないようにする仕組みも働きます。これは、異常な細胞が身体の中で増え広がるのを防ぐために重要です。
こうした防御機構は、単独で働くわけではありません。DNAの修復、細胞分裂の制御、細胞の死、免疫による監視など、複数の仕組みが互いに補い合っています。がんは、これらの仕組みの一部が損なわれ、異常な細胞が生き残って増殖することで発生するのです。
不要になった細胞を自ら処理する「アポトーシス」
細胞には、一定の条件に達すると、自ら活動を終えて死滅する仕組みがあります。これを「アポトーシス」と呼びます。日本語では、しばしば「プログラムされた細胞死」と説明されます。
たとえば、発生の過程で不要になった細胞を取り除くときや、損傷が大きく修復が難しい細胞を排除するときに、アポトーシスが働きます。これは単なる細胞の消失ではなく、身体を健全に保つために制御された過程です。
がんの発生を抑えるうえでも、アポトーシスは重要な役割を果たしています。異常な細胞が増殖を続ける前に処理されれば、がん化を防ぐ方向に働くからです。
しかし、がん細胞の中には、アポトーシスを起こしにくくする変化を獲得するものがあります。細胞の増殖を止める仕組みや、異常な細胞を排除する仕組みをすり抜ける能力が重なると、がんが成立しやすくなります。
つまり、私たちの身体では、日々さまざまな細胞の変化が生じる一方、それらを修復したり排除したりする仕組みも働いています。がんになるかどうかは、細胞に変化が生じることだけでなく、それを抑える身体の仕組みがどのように働くかにも左右されるのです。
3. 身体の「耐用年数」が過ぎれば、誰でもがんになるのか
人間の身体は、機械のように一律には老化しない
機械であれば、部品が摩耗したり、材料が劣化したりすることで、一定の期間を過ぎると故障しやすくなります。人間の身体にも、年齢とともに機能が変化するという意味では、似た側面があります。
しかし、人間の身体を機械と同じように考えることはできません。臓器や組織によって老化の進み方は異なりますし、同じ年齢であっても、筋力や免疫機能、血管の状態、持病の有無などには大きな個人差があります。
がんについても同様です。加齢によってDNAの変化が蓄積しやすくなることは、発症リスクを高める要因です。しかし、それだけで、すべての人ががんになると決まるわけではありません。
がんの発症には、遺伝的な要因、生活習慣、感染、環境中の発がん物質など、さまざまな要因が関係しています。どのような変化が、どの細胞に、どのような順序で生じるかによっても、発症の可能性は変わります。
そのため、年齢を重ねることは、がんのリスクを考えるうえで重要ですが、身体の「耐用年数」を過ぎたら必ずがんになるという考え方は適切ではありません。
高齢者がみんな、がんになるわけではない
高齢者の中には、がんを発症する人もいれば、生涯にわたってがんと診断されない人もいます。これは、年齢によってがんのリスクが高まることと、発症が必然であることが別の話だからです。
また、がんは一つの病気ではありません。肺がん、胃がん、大腸がん、乳がん、前立腺がんなど、発生する臓器や組織によって特徴が異なり、発症に関係する要因や進行の速さ、治療方法もさまざまです。
年齢を重ねることで発症しやすくなるがんがある一方、年齢だけでは説明できない違いもあります。家族に特定のがんを経験した人がいる場合には遺伝的な要因が関係することもありますし、特定の感染症が発がんリスクを高める場合もあります。
したがって、「高齢だからがんになるのは仕方がない」と決めつける必要はありません。年齢に応じて必要な検診を受け、健康状態を確認し、リスクに応じた予防や対策を考えることが重要です。
4. がんを完全に防ぐことは難しくても、リスクを下げることはできる
生活習慣を見直すことには意味がある
がんの発症には、自分では変えられない要因もあります。年齢や生まれ持った遺伝的な特徴などは、本人の努力だけで変えることができません。しかし、発症リスクに影響する要因の中には、生活習慣や予防行動によって改善できるものもあります。
たとえば、喫煙は肺がんだけでなく、さまざまながんのリスクを高めます。禁煙は、がんの予防に取り組むうえで重要な選択です。また、飲酒量、食生活、身体活動、体重管理なども、がんの種類によって発症リスクと関係します。
感染症への対策も重要です。肝炎ウイルスの感染は肝がんのリスクに、ヒトパピローマウイルス(HPV)の感染は子宮頸がんなどのリスクに関係します。ワクチン接種や感染の検査、必要な治療などによって、こうしたリスクを減らせる場合があります。
ただし、生活習慣を整えれば、がんを完全に防げるというわけではありません。健康的な生活を送っていても、がんになることはあります。がんを発症した人の生活習慣を一方的に責めたり、本人の努力不足が原因だと考えたりするのは適切ではありません。
大切なのは、がんを恐れて生活を過度に制限することではなく、実行できる予防策を無理なく続けることです。
検診は、がんを早く見つけるための手段
がんの予防と早期発見は、区別して考える必要があります。予防は、がんの発症リスクを下げることを目指します。一方、検診は、症状がない段階でがんを見つけ、適切な治療につなげることを目的としています。
日本では、対象となる年齢や条件に応じて、胃がん、大腸がん、肺がん、乳がん、子宮頸がんなどの検診が行われています。どの検診が適切かは、年齢や性別、既往歴、家族歴などによって異なります。
検診には、がんを早期に発見できる可能性がある一方で、精密検査が必要になる場合や、検査によっては利益と不利益を考慮する必要もあります。そのため、対象年齢や推奨される検査方法を確認し、自治体などが案内する検診を適切に利用することが大切です。
また、検診で異常が見つからなかったとしても、その後にがんが発生する可能性はあります。血便、長引くせき、原因の分からない体重減少、しこりなど、気になる症状がある場合には、次の検診まで待たずに医療機関へ相談する必要があります。
5. 高齢期のがんは、発症するかどうかだけでなく、どう向き合うかも大切
がんと診断されても、すべての人に同じ治療が適しているわけではない
がんと診断された場合、治療方法を考えるうえでは、がんの種類や進行度だけでなく、本人の体力や持病、生活上の希望なども重要になります。
手術、薬物療法、放射線治療などによって、がんを取り除いたり、進行を抑えたりできる場合があります。一方で、治療による副作用や身体への負担が大きくなることもあります。高齢者では、がん以外の病気や日常生活の自立度も踏まえて、治療の利益と負担を考える必要があります。
年齢が高いという理由だけで治療を受けられないわけではありませんし、反対に、がんが見つかったからといって、必ずすべての治療を受けなければならないわけでもありません。本人の希望と医学的な見通しを踏まえ、納得できる方針を選ぶことが大切です。
治療することと、苦痛を和らげることは両立できる
がんの治療というと、がんそのものを小さくしたり、取り除いたりすることを想像しがちです。しかし、医療の役割は、それだけではありません。痛みや吐き気、息苦しさ、不安などを軽減し、生活の質を保つことも重要です。
こうした支援を行うのが緩和ケアです。緩和ケアは、治療をあきらめた後にだけ受けるものではありません。がんと診断された早い段階から、がんの治療と並行して利用することができます。
病気の進行を抑える治療を続けながら、症状を和らげ、家族との時間や日常生活を大切にすることも可能です。病状によっては、治療の目的を見直し、苦痛をできるだけ少なくして過ごすことを優先する選択肢もあります。
高齢期には、残された時間をどのように過ごしたいかという問いも重要になります。自宅で過ごしたいのか、できるだけ長く自立した生活を続けたいのか、家族との時間を重視したいのか。本人の価値観を医療者や家族と共有しておくことは、治療方針を考える助けになります。
6. がんを「老化の必然」と考えず、身体の仕組みを知る
がんは、細胞のDNAに生じる変化や、細胞の増殖を制御する仕組みの異常などが関係して発生します。年齢を重ねると、こうした変化が蓄積する時間が長くなるため、がんの発症リスクは高くなる傾向があります。
しかし、私たちの身体には、DNAを修復する仕組みや、異常な細胞の増殖を止める仕組み、不要な細胞を処理するアポトーシス、免疫による監視など、がんの発生や進行を抑える働きも備わっています。これらの仕組みがあるため、細胞に変化が起こったとしても、必ずがんになるわけではありません。
一方で、こうした防御機構も完全ではありません。年齢や遺伝的な要因、生活習慣、感染など、さまざまな条件が重なることで、がんが発生することがあります。だからこそ、予防できるリスクを減らし、適切な検診を受け、症状があるときには早めに相談することが大切です。
そして、がんになった場合にも、発症したことだけで人生の見通しが決まるわけではありません。治療によって回復を目指せる場合もあれば、病気と付き合いながら生活を続ける場合もあります。治療の負担を考慮しながら、苦痛を和らげ、本人が大切にしたい暮らしを支えることもできます。
年齢を重ねることは、がんのリスクが高まることを意味しても、がんになる運命が決まることを意味しません。 身体の仕組みを知り、できる範囲で予防に取り組み、必要な医療を適切に利用する。そのうえで、もし病気になったときには、自分にとって望ましい治療や暮らし方を考えていくことが、安心して年齢を重ねるための大切な備えになります。
