かつて日本では、自宅で最期を迎えることがごく一般的でした。家族がそばにいて、住み慣れた家で息を引き取り、親族や近隣の人々が亡くなった人を見送る。死は、医療機関のなかだけで起こる出来事ではなく、家族の暮らしや地域社会の営みの一部だったのです。

ところが、戦後の日本では、人々が亡くなる場所が大きく変化しました。1951年には約9割の人が自宅で亡くなっていたのに対し、1977年には病院で亡くなる人の割合が自宅で亡くなる人を上回り、2012年に刊行された『安心して自宅で死ぬための5つの準備』では、当時、約8割の人が病院で亡くなっていると説明されています。

この変化は、単に医療技術が進歩したから起きたのでしょうか。それとも、家族のあり方や社会保障制度、介護をめぐる環境が変わったことにも理由があるのでしょうか。

在宅医療に携わってきた新田國夫氏の説明から見えてくるのは、人が亡くなる場所の変化は、医療の進歩だけでなく、高齢者を誰が、どこで支えるのかという社会の仕組みの変化でもあるということです。

1. 自宅で死ぬことが当たり前だった時代

死は家庭の暮らしのなかにあった

1951年には、亡くなる人の約9割が自宅で最期を迎えていました。当時の自宅での死は、現在のように特別な希望として選び取るものというより、生活の延長線上にある自然な出来事でした。

高齢者や病気の人が家で療養し、家族が食事や身の回りの世話をする。容体が悪化すれば、家族がそばで見守り、必要に応じて医師を呼ぶ。そうした暮らしのなかで、人々は老いや病気、そして死に接していました。

もちろん、昔の在宅看取りが、いつも穏やかで理想的だったわけではありません。医療技術や救急体制が十分ではなく、家族の介護負担も大きかったはずです。痛みや息苦しさを十分に和らげられなかったり、家族だけでは対応しきれなかったりすることもあったでしょう。

それでも、死が家庭から完全に切り離されていなかったことには、大きな意味があります。子どもや若い世代も、身近な人が年老い、病気になり、やがて亡くなるという人生の流れに触れる機会を持ちやすかったからです。

死は、誰もがいつか経験するものだと頭で理解するだけでなく、家族や近所の人の姿を通して実感できる出来事でもありました。

家族だけで支えることの限界

ただし、自宅で亡くなる人が多かった背景には、家族が生活上の支援を担うことを当然とする社会環境もありました。高齢者の介護や看病を家族が引き受け、仕事や家事と両立させることが求められていたのです。

家族の人数が多く、同居する世代も多かった時代には、複数の人で介護を分担できる場合がありました。しかし、それは家族の誰かが大きな負担を引き受けていたことと表裏一体です。家族の支えがあったから自宅で過ごせた人がいる一方、家族の負担が重すぎて十分なケアを受けられない人もいたと考えられます。

したがって、かつての在宅死をそのまま理想化することはできません。重要なのは、自宅で亡くなる割合が高かったという事実だけではなく、当時は家族が担っていた看病や介護の役割を、現代社会ではどのように支えるべきかという問いです。

2. 病院で亡くなる人が増えた背景

医療の発展と国民皆保険制度が大きく変えたもの

戦後の日本では、医療機関が増え、医療を受けられる人も広がっていきました。大きな転機の一つが、1961年に国民皆保険体制が確立されたことです。医療費の負担を保険制度によって支える仕組みが整い、以前よりも多くの人が病院で診察や治療を受けられるようになりました。

これは、日本社会にとって大きな進歩でした。病気になっても医療につながりやすくなり、専門的な治療や入院による管理を受けられるようになったからです。感染症や重い病気への対応、手術、検査、救急医療など、病院が果たす役割は非常に大きいものです。

しかし、新田氏は、医療機関の充実と並行して進んだ社会福祉政策にも目を向けています。高齢者の生活や介護を支える仕組みが十分に整わないまま、病院が医療だけでなく、行き場のない高齢者を受け入れる役割まで担うようになったという問題です。

つまり、病院が増え、入院しやすくなったこと自体は望ましい変化でしたが、医療と生活支援の役割分担が不十分だったために、病院が介護や生活の受け皿にもなっていったのです。

核家族化によって、家で介護することが難しくなった

1950年代以降、日本は高度経済成長期に入り、働き方や住まい方、家族のあり方が大きく変化しました。都市部への人口移動が進み、親と子が別々に暮らす核家族が増えていきます。

かつては、親と子どもが同じ家で暮らし、家族の誰かが高齢者の身の回りを支えることができた家庭もありました。しかし、子ども世代が都市部で働き、親世代と離れて暮らすようになると、毎日の食事や排せつ、入浴、服薬などを支えることは簡単ではありません。

さらに、家族の人数が少なくなれば、介護を分担できる人も限られます。介護する人自身が仕事や子育てを抱えていることもあります。高齢者本人が自宅で暮らし続けたいと思っていても、家族の努力だけでは支えきれない状況が生まれたのです。

こうした事情のもとで、病院への入院は、治療を受けるためだけでなく、家族が安心して高齢者を預けられる選択肢にもなりました。

施設に入ることへの抵抗と、病院への安心感

当時は、現在のように介護施設が広く整備されていたわけではありません。新田氏の説明によると、特別養護老人ホームは、かつては貧困対策という性格が強く、親を施設に入れることに抵抗感を抱く人もいました。

一方、病院には「医師や看護師がいて、何かあれば対応してくれる」という安心感があります。家族が自宅で介護を続けるのが難しくなったとき、病院に入院させることは、社会的にも受け入れられやすい選択だったのでしょう。

こうして、医療機関が高齢者を受け入れることが一般化する一方で、在宅介護や施設での生活を支える仕組みは、十分な受け皿になりきれていませんでした。

3. 「社会的入院」という問題

治療のための入院が、生活の場としての入院に変わる

ここで重要になるのが、「社会的入院」という言葉です。

社会的入院とは、病気の治療そのものは終わっている、あるいは病院での治療を続けなくても自宅などで療養できる状態にあるにもかかわらず、介護や生活支援の体制が整っていないために、退院できず入院が長期化することを指します。

たとえば、病気の治療を終えた高齢者が、退院後も日常生活に介助を必要としているとします。自宅には介護を担える家族がいない。利用できる介護サービスも十分ではない。本人が安心して暮らせる施設も見つからない。そのような場合、医療上は入院を続ける必要性が小さくても、退院後の暮らしを確保できないため、病院にとどまらざるを得なくなります。

この問題は、本人の希望だけでは解決できません。退院することが決まっても、帰る家が安全とは限らず、必要な介護を受けられるとも限らないからです。

病院が生活の場を代わりに担うようになれば、医療機関には本来の治療以外の負担がかかり、医療費の増大にもつながります。新田氏は、こうした問題が1980年ごろから深刻に意識されるようになったと説明しています。

問題は、本人や家族の選択だけにあるのではない

社会的入院を考えるとき、家族が高齢者の介護を放棄したからだ、と単純に片づけるのは適切ではありません。

もちろん、家族の支援が得られず、高齢者が孤立してしまうことは現実の問題です。しかし、家族が介護を担えない理由には、遠距離で暮らしていること、仕事を休めないこと、介護する人自身が高齢であること、経済的な余裕がないことなど、さまざまな事情があります。

家族に介護を期待する一方で、介護を支えるサービスや施設が足りなければ、家族がどれほど本人を大切に思っていても、自宅での生活を続けることは困難です。

つまり、社会的入院の背景には、個人や家族の努力だけでは埋められない社会制度上の問題があります。高齢者がどこで暮らし、どこで最期を迎えるかは、本人の意思や家族の事情だけで決まるのではなく、地域にどのような医療・介護の仕組みがあるかによっても左右されるのです。

4. 病院で亡くなる人が増えたことは、何を意味するのか

死ぬ場所の変化は、社会の仕組みの変化でもある

1951年には約9割だった自宅での死亡が減少し、1977年には病院での死亡が自宅での死亡を上回りました。この変化を、医療技術が発達して病院で亡くなることが可能になった、という一つの理由だけで説明することはできません。

そこには、国民皆保険制度の確立、医療機関の増加、核家族化、介護の担い手の不足、施設整備の遅れ、そして病院に対する安心感など、複数の要因が重なっています。

言い換えれば、病院死の増加は、医療が進歩した歴史であると同時に、家族が担ってきた介護や看取りの役割が変わっていった歴史でもあります。

病院は、病気を診断し、治療し、苦痛を和らげるために欠かせない場所です。しかし、病院が高齢者の生活を支える最後の受け皿になってしまうと、本来必要とされる医療を提供する役割と、退院後の生活を支える役割との境界が曖昧になります。

この点から考えると、目指すべきなのは、病院で亡くなる人を減らすことだけではありません。医療が必要な人には適切な医療を提供し、日常生活を支える介護が必要な人には介護を届け、本人が望む場所で暮らし続けられる選択肢を整えることです。

「自宅で死ぬこと」と「自宅で安心して暮らすこと」はつながっている

自宅で最期を迎えたいと願っても、日々の生活を支える仕組みがなければ、その希望を実現することは難しくなります。

自宅で療養するには、病状に応じた医療、訪問診療や訪問看護、介護サービス、福祉用具、家族への支援などが必要になる場合があります。容体が急変したときの連絡先や対応方針を決めておくことも大切です。

また、家族だけがすべてを背負う必要はありません。介護サービスや地域の支援を組み合わせることで、本人の生活を守りながら、介護する人の負担を軽減できる可能性があります。

自宅で亡くなることを実現するためには、亡くなる直前の支援だけでなく、病気や障害があっても暮らし続けられる環境づくりが欠かせません。在宅での看取りは、看取りの瞬間だけの問題ではなく、そこに至るまでの暮らしをどう支えるかという問題でもあるのです。

5. 自分が最期を迎える場所を考えるために

「どこで死にたいか」だけでなく、「どのように暮らしたいか」を考える

自宅で亡くなることには、住み慣れた環境で家族や親しい人と過ごせるという魅力があります。しかし、自宅での看取りが、すべての人にとって最良の選択とは限りません。

本人の病状や希望、家族の状況、利用できる医療・介護サービスによって、適切な選択は異なります。病院での治療や療養を希望する人もいれば、介護施設で安心して過ごしたい人もいるでしょう。自宅で過ごすことを望んでいても、必要な医療や介護を確保できなければ、別の場所を選ぶほうが本人と家族の安心につながる場合もあります。

大切なのは、「自宅で死ぬべきだ」「病院で死ぬのは望ましくない」と決めつけることではありません。自分がどのような生活を望み、どのような支援があれば安心できるのかを考え、周囲と話し合っておくことです。

たとえば、病気が進んだときに何を大切にしたいのか、痛みや苦しさをどのように和らげたいのか、誰にそばにいてほしいのか。そうした希望を家族や医療・介護関係者と共有しておけば、いざというときに本人の意思を尊重した選択をしやすくなります。

在宅での看取りを支えるのは、個人の覚悟だけではない

自宅で最期を迎えるというと、本人の強い希望や、家族の献身的な介護が必要だと考えられがちです。しかし、それだけに頼る方法では、本人も家族も追い詰められてしまう可能性があります。

必要なのは、本人と家族の意思を尊重しながら、医療・介護の専門職や地域の支援が継続的に関わることです。家族が疲れ切ってしまったときに相談できる窓口があること、夜間や急変時に対応できる体制があること、介護を一時的に休めるサービスがあることも、在宅生活を支える重要な条件です。

また、本人が自宅での生活を望んでいても、家族がそれを支えきれない場合があります。そのとき、家族の愛情が足りないと責めるのではなく、本人の希望と家族の生活を両立させる方法を一緒に探す姿勢が求められます。

死ぬ場所の選択は、個人の問題であると同時に、社会全体で支えるべき課題でもあります。

6. 死を支える社会へ――病院か自宅かという二者択一を超えて

1951年から1977年にかけて起きた、在宅死と病院死の割合の逆転。その背後には、医療の発展だけではなく、家族の小規模化、介護を担う人の不足、社会福祉の受け皿の不十分さ、そして病院への期待の高まりがありました。

新田氏が指摘する社会的入院の問題は、医療機関が治療だけでなく、生活の支援まで引き受けざるを得なかった状況を示しています。病院に入院することが本人や家族にとって安心につながる一方、病院以外に暮らしを支える選択肢が乏しければ、本人が望む生活を選びにくくなります。

この問題から考えたいのは、病院死を減らすことそのものではありません。病院、自宅、介護施設など、それぞれの場所が持つ役割を生かし、本人が望む生活をできるだけ長く続けられるようにすることです。

そのためには、医療と介護を切り離さず、退院後の生活まで見通して支援することが必要です。本人が自宅で過ごしたいと望むなら、その希望を実現できる在宅医療や介護の体制を整える。自宅での生活が難しい場合にも、安心して療養できる場所を確保する。こうした選択肢があって初めて、本人の希望に基づいて最期の場所を考えられるようになります。

どこで亡くなるかという問題は、どこで、誰と、どのように生きるかという問題と切り離せません。 自宅での看取りを考えることは、単に死ぬ場所を選ぶことではなく、老いや病気を抱えても自分らしく暮らせる社会をどうつくるかを考えることなのです。